朝日新聞サンフランシスコ支局長兼デジタル編集部員

記者に必要なコンピテンシー
論理的思考、疑う力、興味、表現力、共感・傾聴力

朝日新聞サンフランシスコ支局長兼デジタル編集部員
宮地ゆうさん

「こんな人に出会えてよかった!」と思う瞬間がある仕事
1年目でも30年目でも記者としては同じ立場

――全国紙の特派員として、日常どんな仕事をしていますか?
「2014年に、新しくサンフランシスコ支局を立ち上げました。そこを拠点にIT企業の取材に軸足を置いて取材しています。サンフランシスコと、その南のシリコンバレーの企業や起業家たちを訪ねたり、全米で開かれるIT関連のイベントなどを回って最先端技術を取材したり、ほかにも、この地域で起きている社会問題などを取材しています。16年は、米国大統領選挙の取材も多くしました。有権者のナマの声や候補の演説を聞くと、米国の市民が何を求めているか、中西部と西海岸、東海岸の価値観の差を体感することができました。とくにカリフォルニア州、ことさらサンフランシスコ周辺は、かなりリベラルな土地柄のため、ここの感覚に慣れてしまうと、米国の他の地域の価値観を忘れがちになりますね」

――アメリカ特派員として苦労したのは?
「いちばん大変なのは時差だと思います。こちらで日中取材しても、新聞の締め切りは日本時間で動いているので、西海岸の場合だと午前3時~6時ごろが朝刊作成時間にあたります。前後に仮眠したり、朝方になってから寝たりと、生活が不規則になりがちなのが悩みです」

――記者の仕事のおもしろさは?
「この仕事をしていなければまず会うことのない人に会えることですね。必ずしも有名人という意味ではなく、ふつうの生活をしていたら会えないような人たちに。それに、1年に1度か2度は<記者をやっていてよかった!>と思う瞬間がある。その人の生き方や価値観に心を揺さぶられ、自分の一生の中で、こんな人に出会えてよかった、このために、この一年間やってきたんだって感じます。こんな瞬間のために記者をやっていると言っても過言ではありません。また、1年目も30年目でも、記者としては同じ立場なんです。大ベテランでも毎日コツコツ取材するし、だれが書いた記事でも同じ紙面に載ります。米国のあるベテラン記者が<ジャーナリストというのは職業ではなく、生き方だ。会社を辞めてもメディアが変わってもジャーナリストはジャーナリストであり続けるものだ>と話していましたが、この仕事をよく表していると思いました」

――記者になろうと思ったきっかけは?
「高校生の時に湾岸戦争がはじまり、当時の高校の古文の先生が、<今日は古文の授業より大切なことがある>と授業を潰して開戦の時のCNNの中継を見せてくれました。まさに開戦時間にテレビでミサイルが飛び交っているのを目の当たりにし、この戦争に日本も大きく関わっている事を知ったことで国際政治を学びたいと思いました。大学卒業後は大学院に行って研究者になりたいと思ったこともあります。途中で止めたのは、ひとえに研究者になるための才能や能力がなかったからですが、実際に社会で何が起きているかよく知らないまま、論文ばかり読んでいてもピンとこなかったこともありました。世の中で実際に何が起きているか一番身近で見るためには、どこで働けばよいか。そう考えて目指したのが記者でした。就職活動中にお会いした記者たちが、この仕事に誇りを持って、とても楽しんでいたことも、記者になりたいと思うきっかけでした。」

地方勤務は意外と地味な日々の取材
出会った人たちに育てられた

――実際に記者になって、最初はどうでした?
「初任地は鹿児島総局、つぎに山口総局に異動しました。朝日新聞社は大きな会社ですが、総局は10人ほどだったので、地方の小さな会社に就職したような感覚でした。それまで描いていた記者像はとても表面的なことだったと感じました。日々の仕事は地味な取材がほとんどで、ドラマや小説に出てくるカッコいい記者とはかけはなれている。でも、地方支局では取材先との距離が短く、書いたことが翌日には批判されたり喜ばれたり、読者の反応が直に感じられる貴重な場所でした。警察担当だったときには<情報を取ってくるまで支局に帰ってくるな>と、先輩に言われ、雨の中、警察署の前をウロウロしていたこともあります。そんな時、<お前も大変だなあ>と夜中まで署に残って、おしゃべりにつきあってくれた警察官もいました。結局、肝心のネタはくれませんでしたが。鹿児島や山口にはいまも連絡を取り合っている人がたくさんいます。社会人になってからの育ての親のような存在ですね。世の中を広く見てやろうなんて偉そうに思っても、実際には取材先の人に育ててもらったんだとつくづく感じます。そのころ知り合った他社の記者たちは、競争相手でありながら取材先の話をしたりして友だちでもありました。親友になった人もいます。」

――その後、東京本社に配属されたのですね。
「ええ。社会部に約4年、在籍しました。警視庁の所轄署回りを1年半ほどして、現代の家族の姿を描く連載企画から、選挙、テロ、オリンピックまでやる「何でも屋」。記者は専門性もさることながら、どんな事象であっても、それをどう見て、どう描くかという視点も大切です。」

――それからGLOBE編集部へ。世界のさまざまな話題を掘り下げる朝日新聞日曜版ですね。
「GLOBEは一つの特集に長い時間をかけて何ページにもわたる記事を書く場所です。いわば社会部が短距離走だったのに比べマラソンを走るような仕事。雑誌に近く、長い読み物を描く面白さを覚えた時期でした。それから経済部、国際報道部を経て、現職です」

好奇心と批判精神につき動かされる
学生時代は一見無駄なことをたくさんしておく

――新聞記者にとって大事なことは何でしょう。
「好奇心と批判精神。固定した価値観に捉われずに何でも面白がれる。これは記者に限らずですが、世間で当然と思われている価値観に「本当にそうなのか」と疑問を抱くことは、とても大切だと思います。批判的なものの見方なしに、社会のさまざまな問題が改善されていくことはないからです。また、いい記者だなと思う人の中には、何かしらの挫折を経験していたり、社会に適合できないような気持を持っているような人がいるように思います。他の人が気づけない社会の歪みや、人の気持ちに敏感に反応できる面があるからかもしれません。中には特殊な趣味や技能を持っていたり、24時間活動しているスーパーマンのような人もいますが、決して多くはありません。そもそも世の中の大半の人はそんな生活はしていないので、ふつうの人の生活や悩みを理解できる方が大切だと思います」

――新聞記者志望の学生がいまやっておくべきことは?
「学生時代にしかできない<無駄なこと>をたくさんしておいた方がよいと思います。記者はあらゆることが取材対象になるので、じつは無駄な経験なんてありません。記事の書き方などは入社してからいくらでも教えてもらえるので、時間の融通がきく学生時代にしかできなさそうなこと、やりたいことをしていた方が後悔しないし、あとから役に立のではないかと思います」