外務省→外資系コンサルから有機野菜等を宅配するネットスーパー「Oisix」(オイシックス)に転職した異色の経歴をもつ高橋大就インタビュー(第1回)

その1 「やばい」と思ったらまず行動 いすに自分縛り勉強

 

神宮司:まずは、現在の高橋さんの主な活動内容を教えてください。

高橋:いま、私は2つの仕事をしています。
1つ目はオイシックスの海外事業統括で、日本の食材を香港のお客様の自宅まで届けています。オイシックスの提供する安全、安心で豊かな食生活を世界にも届けることに挑戦しています。

2つ目は、震災後に立ち上げた食産業の支援団体、一般社団法人「東の食の会」での活動です。東北の岩手、宮城、福島を中心に活動している素晴らしい生産者たちのつくる食を、首都圏を中心に販路を作ることで広げようと立ち上げました。そこでモノ、人のプロデュースをしています。

震災というと「復興」という言葉が使われがちですが、私たちは復興というよりも地域活性化、東北を非常にワクワクする地域にすることを目的にしていています。特に東北は一次産業が主力産業なので、それをしっかりと稼げる産業にしたい。そうすることで東北が食のブランド、リーダーの多い勢いのある地域となり、日本を引っ張っていくようになってほしいと考えています。

神宮司:東の食の会を立ち上げたきっかけは何ですか。

高橋:東日本大震災です。震災当時は外資系コンサルティング会社(マッキンゼー)で働いていたのですが、震災直後にバックパックで東北に入り、NPOで緊急の支援活動を行いました。その中で、緊急支援の段階が終われば産業を作らなければならないと感じたのです。その時に、オイシックス社長の高島宏平から「東の食の会」の立ち上げに携わらないか?と声がかかり、「東の食の会」の立上げに参画することとなりました。

神宮司:オイシックスに入られる前はマッキンゼー、その前は外務省と、かなり独特なキャリアを歩んでこられたと感じました。まずは、マッキンゼーからオイシックスに転職した理由を教えてください。

高橋:きっかけは実は、外務省で務めている時に「農業を何とかしたい」と思ったことです。そのためにはまずビジネススキルを身につけたいと思い、マッキンゼーに入社しました。その後、「東の食の会」でオイシックス社長の高島宏平と知り合い、ビジネスで農業を強くできると知ったこと、会との活動と並行できることから転職しました。

神宮司:外務省で務めている中、なぜ農業に関心を持ったのですか。

高橋:元々自分は、日本の安全保障に強い危機意識を持っていました。だから外務省に入省し、希望通り日米の安全保障部門を担当できることになりました。そこで日米の通商交渉などをてがけていたのですが、地方の疲弊を含めた日本の国際的な競争力の低下に直面しました。それで次第に「安全保障よりも農業の方がやばいのではないか」と思うようになってきたのです。

現在だとTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)のように、通商交渉を行う中で農業は必ず日本にとってのボトルネックになります。私の時も、相手の関税を下げさせようと交渉をしても日本の農業を守るために強気な交渉ができず挫折することがたびび起こりました。

外を閉じることで、日本の農業を本当に守れているのか、閉じることで他の産業は倒れていっていないか。そこを突破することが、農業に限らず日本が世界で戦うために必要だと思い、問題意識が農業に移ったのです。

神宮司:高橋さんを取り上げた記事の中で、私は「その時にやりたいと思ったことをやらないことが1番のリスク」という言葉が一番印象に残っています。
そうは言っても、中々やりたいことをやれない、踏み込めない人が私も含めて多いと感じるのですが、何が高橋さんを駆り立てているのですか。

高橋:自分が働く動機は、「これをやりたい」というよりも「この問題を何とかしないとやばい」というところにありますね。

最初に安全保障に危機感を持ったきっかけは、高校生の時に北朝鮮がミサイル「ノドン」を日本海に向け発射したことです。「安全保障がやばい」と思い、外務省に入りました。

次は、「農業を何とかしないと日本が疲弊してしまう。やばい」とマッキンゼーへ。震災が起きたら「生きている中でこれ以上のやばいは起こり得ないだろう」ということで、被災地へ。その時の「やばい」と思うことに従って生きていますね。何かが起きて自分が「やばい」と思えば、その問題の領域に行って何かしなければならないと常に思っています。

今、東の食の会では被害が深刻だった三陸や福島の食のプロデュース、販路拡大にチャレンジしています。オイシックスでは今香港でビジネスを行っていますが、次は更に難しい国、たとえば中国で行ってみたいとも思います。一番「問題だ、やばい」と思うところに常に挑戦したいです。

神宮司:昔からそのような考えを持っていたのですか。

高橋:大学生の頃にはもう持っていましたね。
安全保障に関心を持ったのは先ほども触れたように北朝鮮のミサイル「ノドン」がきっかけです。その時までは政治に興味はありましたが漠然としたもので、危機感までは持っていませんでした。ノドンの射程距離が日本ほぼ全域であったが、自分がそのようなものが開発されていることを知らなかったこと、謎の独裁国家が日本全域を射程に入れるミサイルを実際に発射したこと、原発に当たれば大変なことになるな、ということと考えたときに「やばい」と衝動が起きたことが、最初だと思います。そこから安全保障を勉強し始め、大学でも安全保障を専攻、一直線でした。

神宮司:「やばい」と思いながらも、その思いとは別のことをしている人のほうが多い気がします。

高橋:自分は安全保障一直線で外交官試験しか受けていないので、就職活動をしたことがありません。4年生の時に留学から帰ってきたのですが、翌年の外交官試験まで1年弱しかなく、やったことのない法律科目など普通は何年もかけて勉強する内容をその期間でやらなければいけませんでした。自分をロープで椅子に縛り付けて勉強し続けていたら、ある日ものすごく息苦しくなりました。病院でレントゲンを撮ってみると、右肺が完全につぶれている「自然気胸」と診断されました。肺が割れていたんです。治療してもらい帰宅してまた自分を縛って勉強を再開したら、2日でまた肺が割れ、こんどはチタン製のホッチキスで肺を止めてもらいました。


神宮司:なぜ自分を縛るのですか!?

高橋:意志が弱く、すぐに寝転がったりだらけたりしてしまうからです。

縛ると、勉強するしかない。起きている時間はずっと縛って勉強していました。入院した分遅れを取り戻さないと、という焦りもあり、更に追い込んで勉強をしているとこんどは肝臓が壊れました。本当に、ぎりぎりのラインでした。

当時の外交官試験は全部論文で膨大な量でした。択一は得意だったのですが、全ての記述は誤魔化しがききません。法律、外交史、経済、膨大な量を約8ヶ月で仕上げました。

神宮司:人間どこかで「まあいいか」と思ってしまいがちだと思うのですが、そこまでするエンジンの源はどこにあるのでしょうか。

高橋:うーん、それはあまり言語化して説明できないです。とにかくそれをやらないといけない、という気持ちで動いています。昔からそこまで意志が強いということもないと思いますね。

参考サイト

一般社団法人「東の食の会」

https://www.higashi-no-shoku-no-kai.jp/

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