第26回 自ら考え、言葉にする力をつけよう:“思考停止”からの脱却

(写真):エチオピア北部の有名なゲラルタ山。自分で考え、それを伝える力こそ必要になっている。©Kiyori Ueno

連載:世界は広く、おもしろい!

日本を発つ直前、1月18日付の朝日新聞に、世界を舞台に活躍する俳優で演出家の笈田ヨシさん(83歳)のインタビュー記事が載っていた。その中で、笈田さんは、「日本に戻るたびに驚くのは、観客があまりに受け身なこと」、だと話し、「感想を尋ねても、良かったというだけ。印象を抱くだけじゃ進歩がない。自分なりに分析し、言葉にして伝えようとする意志こそが、ひとりひとりが自由を手にするカギだと思うのですが」と述べていた。

自分で考え、自分の言葉で表現することが少ない―。これは私もいつも日本で日本人に対して抱く印象でもある。そしてこれは多くの人が気づかないうちに陥っている“思考停止”の問題である。

その“思考停止”の例はあらゆるところにあるのだが、分かりやすい例が、横断歩道の信号待ちの場面だ。日本では、たとえ自動車が来ていなくても、赤信号であればほとんどの人がそのままじっと、おとなしく待っている。自動車が来ていない=安全に渡れるかもしれない、という判断をするよりも、赤信号=危険だから渡ってはいけないというサインに実に従順に行動するのだ。私は自動車が来ないのであればスタスタと渡ってしまう。多くの人の視線を背後に感じながら。小さな子どもが待っている場合は、まだ判断力がない子どもたちに悪影響を与えてはいけないので、渡らずに我慢して待っている。

日本の外ではどうか。ニューヨークはもちろんJaywalk。赤信号であっても自動車が来ていなければ横断歩道を渡ってしまう人がほとんどだ。信号は自分が渡るかどうかの参考にする程度、という感覚で、信号が赤でも青でも最終的には渡るか渡らないかは自分で判断する。フランスでは親たちは子どもたちに「青信号だからといって安全とは限らないので、自分の目で見て安全か判断する」ように教育する。信号付きの横断歩道がそもそもほとんど存在しないエチオピアでは当然のことながら自分で判断して道を横断する。

この違いを見ると、日本の場合は自分で考えることをせず、赤信号には盲目に従う=思考停止が起きていることが分かる。なぜ日本ではこのように従順=思考停止なのか。

その大きな要因は学校、家庭を含む社会全体の教育にあると私は考える。日本においては先生に従う、親に従う、年配者に従う、という教育が多く、自分なりの疑問を持つこと、質問を他人にぶつけること、自分の意見を他人に言うこと、などのトレーニングを受けておらず、文化的にも行わない傾向にある。正しい答えというものは常に存在し、それは“お上”的な偉い人や先生が持っていて、与えてくれる、習う側はその人々に従うことを期待される。そして従う人ほどできる人、という評価をされる。従って、信号=正しい=従う、となるのだ。

けれどもグローバル化が進むなか、日本のこの従順さ=思考停止は弱点になりやすい。物事を自分なりの見方で積極的に、クリティカルに見る視点、その知性がますます価値があるものになっているからだ。日本が得意としてきた製造業は、今では中国をはじめ、ベトナム、インド、バングラデシュなど様々な国が参入し、価値を生みにくくなっている。製造業においては、大量に同じように作ることが必要とされるため、クリティカルに考え、自分なりの意見を言うことはさほど必要とされない。より高い価値を生むのがアップル社に代表されるようなソフト面の構築である。

このコラムの読者である若い人たちには「自分で見て判断し、自分の意見を言葉にする力」を身につけてもらいたい。グローバルな場では、誰かが何か言うのを待ち、それに同調する、だけでは不十分だ。そして、おそらく今後、日本においてもこの力は必要となっていくだろう。

上野きより ジャーナリスト、フォトグラファー、元国連機関職員
信濃毎日新聞社、ブルームバーグ・ニュース東京支局などで記者として働いた後、国連世界食糧計画(WFP)のローマ本部を経て、食糧支援の現場であるエチオピア、ネパールで働く。2016年から独立。米国コロンビア大学国際関係・公共政策大学院修士課程修了。慶應義塾大学文学部卒業。東京出身。