金正男氏殺害事件で注目される米国の暗殺禁止令

写真は、捜査状況について説明するマレーシア警察のカリド長官(左)=クアラルンプール ©Asahisimbun

廃止、継続、それとも解釈変更?
大胆な大統領令を連発するトランプ大統領の大権

北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の異母兄、正男氏がマレーシアで殺害されたというニュースに接し、歴代米政権が遵守してきた「暗殺禁止令」の行方が気になり始めました。中東・アフリカ諸国からの渡航者の一時入国禁止、環太平洋経済連携協定(TPP)離脱などでトランプ大統領が就任以降、矢継ぎ早に大統領令に署名しているからです。

故金正日総書記の長男である正男氏は、クアラウンプールの国際空港で女性2人に襲われ、顔に毒物をかけられて死亡しました。犯行の一部始終が収録された監視カメラの映像に衝撃を受けたのは私だけではないと思います。彼の遺体から猛毒のVX神経ガスが検出されたり、北朝鮮大使館員の関与がとりざたされたりしていることから、米国は北朝鮮当局による組織的な暗殺の疑いを強めています。

私が気になる暗殺禁止令は、1981年に当時のレーガン大統領が署名した行政命令12333です。インテリジェンス活動や安全保障政策の決定手続きなどを定めた大統領令ですが、そのsection 2. 11は米政府職員に対し暗殺とその幇助の禁止を規定しています。

わざわざ自国の政府職員に暗殺をやってはダメだと行政文書に明記する国は、おそらく米国以外には存在しないのではないでしょうか。ことの発端は、1970年代半ばにさかのぼります。CIAが1950、60年代に企てたキューバのカストロ議長、コンゴのルムンバ大統領らに対する暗殺未遂が大々的に報道され、米議会調査委員会(チャーチ委員会)の追及をかわすためにつくられた、といわれています。

レーガン政権以降の歴代政権は、この暗殺禁止令を遵守していると宣言しています。しかし、そもそも「暗殺」とは何か。この行政文書には、暗殺の定義が抜け落ちています。オバマ政権時代の司法省が作成した機密報告書によれば、アルカイダやイスラム国の指導者を無人機などで殺害することは「暗殺」には該当しません。このため、この大統領令は、有名無実と化していると米国内外で批判されています。それでも、この箍(たが)があるのとないのでは大違いだと思います。

さて、大胆な大統領令を次々に出しているトランプ大統領は、この箍を踏襲しているのでしょうか。大統領の「ペンの一筆」(a stroke of a pen)ですべてが変わるといわれるほど大統領の権限は強大です。暗殺禁止令を存続させるも廃止するも大統領次第です。さらに言えば、どう解釈するかもときの政権次第です。公表しないで秘密裏に修正することもできます。

杉本 宏(すぎもと・ひろし)朝日新聞社教育総合本部 シニアスタッフ
1984年に朝日新聞社に入社。政治部、外報部記者を経て、ロサンゼルス支局長、アトランタ支局長、ワシントン総局員などを務める。五輪やW杯、ハリウッドの動向からロサンゼルス暴動、9・11同時多発テロ、米ロ首脳会談など、国際問題を幅広く取材した。共著に「アメリカ解体全書」(KKKベストセラーズ)。昭和女子大現代ビジネス研究所の研究員も兼ねる。