「ポスト真実の時代」① ウォーターゲート事件から45年を前に考える

試練を迎えるジャーナリズム ・ 言葉で真実を追求できるのか

 「ポスト真実」(post-truth)という言葉が世界中で飛び交っています。真実なんか関係ない時代に入ったのでしょうか。ニクソン米大統領を辞任に追い込んだ「ウォーターゲート事件」から6月で45年。真実の重みについて改めて考えてみます。

 英オックスフォード大出版局は、2016年の流行語大賞(word of the year)に”post-truth”を選びました。ここが刊行している英語辞典(ネット版)によれば、この言葉は、以下の意味の形容詞として使われています。
 
定義
Relating to or denoting circumstances in which objective facts are less influential in shaping public opinion than appeals to emotion and personal belief.
用例
in this era of post-truth politics, it’s easy to cherry-pick data and come to whatever conclusion you desire.
 
 流行語は、時代の世相を反映するといわれます。噓のニュース(fake news)をおもしろがることのどこが悪いのか。「ブンヤ」ごときが真実を云々するのは、身のほど知らずではないか――昨年あたりから、そんな風潮が世界中で強まってきました。トランプ大統領は、真実の追求を職業とする主要メディアのジャーナリストについて、「不誠実の最たる人種」、「アメリカ人民の敵」と公言してはばかりません。
 
 たしかに、ジャーナリズムは、いま、厳しい試練の時代を迎えています。CNNの調査によれば、米主要メディアよりトランプ大統領の方が信頼できると思っている共和党支持者が約8割もいます。事実を「足」で掘り起こし、いくつもの事実を積み重ねて真実を追求していく「客観報道」の意義がまさに問われているといえます。
 
 言うまでもなく、ジャーナリズムの大きな「武器」は言葉です。しかし、言葉を使うと、議論が「メタ化」するから厄介です。例えば、「大虐殺はあったのか」という設問。議論しているうちに、「虐殺」とは何か、 どう定義するのか、そもそも「正しい」とは何か、「真実」とは何か、と抽象的になりがちです。こうなると、言葉だけでは論争は止まりません。自分の都合のよいようにいくらでも解釈できます。
 
 現代思想家の東浩紀氏は、「むろん、真実はひとつです。けれども言葉ではそこに到達できない。だとすれば、『真実を探さない』ことが合理的であることもありえます」(『弱いつながり』より)と分析しています。
 
 しかし、振り返ってみれば、ジャーナリズムが健在な時代もありました。それを象徴したウォーターゲート事件の意義については、次回のコラムでとりあげます。(杉本 宏)
 
写真は、安倍晋三首相とトランプ米国大統領との共同記者会見。ホワイトハウスで、2月 ©Asahisimbun

杉本 宏(すぎもと・ひろし)
朝日新聞社教育総合本部 シニアスタッフ
1984年に朝日新聞社に入社。政治部、外報部記者を経て、ロサンゼルス支局長、アトランタ支局長、ワシントン総局員などを務める。五輪やW杯、ハリウッドの動向からロサンゼルス暴動、9・11同時多発テロ、米ロ首脳会談など、国際問題を幅広く取材した。共著に「アメリカ解体全書」(KKKベストセラーズ)。昭和女子大現代ビジネス研究所の研究員も兼ねる。