「見つめる鍋は煮えない」 
ヨーロッパのことわざ

写真は、鴨鍋 ©Asahishimbun

ビジネスに役立つ言葉たち⑮

朝日新聞社教育コーディネーター 一色清

英文学者でエッセイストの外山滋比古さんのベストセラー『思考の整理学』(ちくま文庫)の中で使われていることわざです。「早く煮えろ」と思い詰めた気持ちで鍋を見つめていると、なかなか煮えてくれません。鍋のことをいったん忘れてほかのことをしていると、もう煮えたのか、と感じます。外山さんは、このことわざを「ひとつのことを集中して考えていてもなかなかまとまらないが、いったん考えることをやめて放っておくと、ある時ひらめいて考えがまとまる」という意味で使っています。私も経験上、「確かにそうだ」と思うところがあります。

私がAERAという週刊誌の編集長をしていた時のことです。編集長は、売れる企画を考えないといけません。寝ても覚めても、頭の中では売れる企画のことを考えていました。でも、なかなかいい企画が思い浮かびません。ところが、考えることをやめて家族と小旅行に行った時とか、仕事と関係のない友人と馬鹿話をしているときとかにふっといい企画が浮かぶのです。

以前考えていたことと、まったく別に考えていたことが突然結びついて「これだ」とひざを打つこともありました。朝方、夢とうつつの間にいるようなときに、いい考えが浮かんであわてて起きて手帳に書いたこともありました。考えを寝かせていると、何かのきっかけでその考えが姿を変えて突然浮かび上がってくることがあるのです。

同じようなことは私たちが書く文章にも言えます。一時の勢いで書いた文章は、思いが強すぎたり、配慮が足りなかったり、偏っていたりすることがしばしばです。書いた文章はすぐに提出したり発表したりするのは禁物です。しばらく寝かせて読み返さないといけません。読み返すと、どうしてこんなに熱くなっていたのだろうとか、どうしてこんなに赤裸々に書いたのだろうとか思って、恥ずかしくなることがあります。寝かせることで、バランスがとれるのです。まさに鍋のカレーです。いったん煮立ったカレーをひと晩寝かせると味のバランスがよくなるのと同じです。

ビジネスの世界では、考えたり書いたりしなければならないことがたくさんあると思います。新しい企画を考える、進め方を考える、人間関係を考える、いろいろあります。でも、いくら考えてもいい考えが浮かばないことはよくあります。そんなときにこの言葉を思い出してください。考えることをやめることが、前に進む道につながるのです。機が熟すという言葉がありますが、熟すまで寝かせることを覚えましょう。

 

朝日新聞社 教育コーディネーター
一色 清(いっしき・きよし)
1978年朝日新聞社入社。福島総局、成田支局、経済部記者、週刊誌「アエラ」編集部、経済部次長を経て、2000年「アエラ」編集長。beエディター、出版本部長補佐などを歴任。08年10月から11年3月までテレビ朝日「報道ステーション」コメンテーターを務めた。共著に『知の挑戦 本と新聞の大学』(集英社新書)。