グローバルに生きるためには、まず英語

(写真: WFPエチオピア時代、イタリアとドイツから現場視察があった時のもの。エチオピアやスーダンの同僚も含め、皆で話すのは英語だ ©Kiyori Ueno)

連載「世界は広く、おもしろい!」第2回

外から日本を眺めていて、英語の必要性を巡る日本での議論で時々驚かされることがある。それは、英語を幼い頃から学ぶべきかについていまだに議論されていることだ。私の結論は極めてシンプル。英語はできないよりはできたほうが明らかにプラスであり、なるべく幼いころから頻繁に接して学んだほうがはるかに身に付く、ということ。(ちなみに、両親が日本人で日本に暮らしている場合、仮に毎日英語の授業があったとしても日本語ができなくなるということはほぼないだろう。)

言語の中でも英語の能力はグローバル化する世界ではますます重要になっている、どころか、必要不可欠となっている。なぜならグローバル化には、あらゆるやり取りが英語化される、という一面があるためだ。英語を母語とする人たちだけでなく、英語を母語としない例えばオランダ、韓国、タイ、ブラジル、セネガルなどの人たちも集ればまず話すのは英語である。

かつては国際的な外交言語だったフランス語も、英語の国際言語化にはるかに差をつけられ、今ではかなり“ローカル”言語化しつつあるのが現状だ。(これを言うとフランス人は怒るが、現実の話・・・)。世界舞台では英語が圧倒的な一人勝ちである。

日本人の英語力の相対的な低さは言われて久しい。そしてそれは悲しいかな、国際的にもよく知られていて、日本人がグローバルで活躍する上では不利になっている。

国連WFPのエチオピア事務所で働いている時にこんなことがあった。国連ではボランティアを受け入れることが稀にあるが、ある時、ボランティアの候補者として日本人の名前が浮上した。これに対して、事務所のトップの一人であったインド人は「日本人は英語ができないからねえ・・・」とためらいの表情を見せた。私は悔しくて、「一般的に日本人はインド人よりは英語ができないかもしれないけれども、できる人も多くいる」と言い返した。結局、この人は入ってこなかった。(その理由ははっきりしないが英語によるものではないと聞いている)。

ネパールでもタクシー・ドライバーから日本人は英語が苦手だという話を何度となく聞かされた。
なぜ日本人は英語が苦手な人が多いのか。日本が英語化されていないもっとも大きな理由の一つは、日本が植民地にされたことがなく、母語である日本語をずっと使い続けることができた、という歴史的な背景によるだろう。この歴史的には素晴らしい遺産が故に、現在の英語化された世界においては、英語能力の面では不利になっている(その逆の例がインド)。そして、それに加えて有名な日本の受験用英語教育が多いに関係しているだろう。

もう1つのファクターは日本社会における圧倒的な英語の流通の少なさで、これは、私が2年間暮らした、やはり“英語が苦手”なイタリアの状況とよく似ている。その象徴的な例がどちらの国も英語の映画やドラマなどが吹き替えになって放映されること。これはとてもありがたいことであるのだが、その半面、英語をそのまま理解するという機会を逃してしまうことにもなる。英語がほぼバイリンガルなスウェーデン人同僚に言わせると、スウェーデンでは映画もドラマもBBCもそのまま英語で垂れ流しになっているから英語が自然とできるようになる、という説明を受けて納得した。

もし日本でBBCやCNNがテレビで24時間ずっと流れていたり、映画も吹き替えなしで流れていたら。そして英語の授業が毎日あり、英語教育も使える英語を教える内容であったら、日本人の英語能力はすぐ格段に上がるだろう。

第1回でも述べた通り、言語はやりさえすれば必ずできるようになる。赤ちゃんは言語に毎日触れることで習得していく。日本で日常的に英語に触れるのはなかなか難しいかもしれないが、グローバルな活躍を目指す皆さんには、ぜひどん欲に英語に触れる機会を自ら作り出していってもらいたい。

上野きより ジャーナリスト、フォトグラファー、元国連機関職員
信濃毎日新聞社、ブルームバーグ・ニュース東京支局などで記者として働いた後、国連世界食糧計画(WFP)のローマ本部を経て、食糧支援の現場であるエチオピア、ネパールで働く。2016年から独立。米国コロンビア大学国際関係・公共政策大学院修士課程修了。慶應義塾大学文学部卒業。東京出身。