「三日、三月、三年」 〜あちこちの会社に伝わる言葉〜

ビジネスに役立つ言葉たち

 ずいぶん昔になりますが、私が朝日新聞社に入って早々に先輩から聞かせられた言葉です。会社を辞めたくなる時期だそうです。その後分かったのですが、別の会社の友人もこの言葉を知っていました。誰が言い出したのか分かりませんが、どうやら、かなり広く言い伝えられている言葉のようです。

 言葉が長く広く残るということは、その言葉に「なるほど」と思わせるところがあるということです。「三日、三月、三年」の場合、振り返れば自分にも心当たりがあるという人がたくさんいるから生き残っているのでしょう。

 ということで、私自身のことから書きましょう。わずか10日ほどの入社研修が終わり、配属されたのは福島県の福島支局でした。担当は、警察、いわゆるサツ回りというやつです。1年上の先輩がキャップで、私がテカ(手下)という2人だけの少年探偵団です。キャップからは「夜は11時まで福島警察署に張り付いていろ」と命じられました。警察署が慌ただしくなると、何があったのかを聞き、ニュースっぽいことならキャップに知らせるのが仕事です。
 ただ、警察官は何も知らない若造に声をかけてくれるほどお人好しではありません。何が起こっているかも分からず、ウロウロするだけで時間は過ぎていきます。確かに3日目くらいでした。「やってられない」と思い、福島駅まで歩きました。駅に着き、時刻表を見上げ、東京行きの列車がまだあることを確認しました。切符を買って列車に乗れば楽になれるという悪魔のささやきが聞こえました。それでは負け犬じゃないかという声も聞こえました。しばらくして、警察署に戻りました。かろうじて踏みとどまったのです。

 その後もつらい日々を送っていたのですが、1カ月ほどしたある日。朝、支局から警察署に向かってとぼとぼと歩いていた私の足もとをタヌキのような動物が横切りました。福島の中心街です。「肌身離さず持っていろ」と命じられていたカメラを構えて、タヌキを追いかけました。一緒に追いかける通行人も出て、大騒ぎのうち、タヌキは側溝に逃げ込みました。その頃には県庁だったか保健所だったか忘れましたが、動物を担当する役人もやってきました。結局、側溝の一方の端から煙でいぶして、別の端に構えた網で捕まえることができました。タヌキではなくハクビシンでした。私は、その間、写真を撮りまくりました。そこにいたメディアの人間は私だけ。今のようにスマホや携帯を持っている時代ではありませんから、やじ馬も写真はとっていません。「こんな捕り物が記事になるのかな」と思いながら、支局に戻ると、デスクは面白いと言って4枚組みの写真に私が書いた記事をつけて出稿しました。翌日の福島県版に「ハクビシン、都大路を大逃走」と見出しをつけたとても大きな記事が載りました。入社1カ月ちょっとの新人が撮ったトクダネ写真と社内でも話題になり、写真部長賞というめったにもらえない賞をもらいました。
 どうやらこれが自信になったようで、私は3カ月、3年の危機を味わわなくて済みました。あのハクビシンは、きっと私をかわいそうに思った神様がつかわしてくれたのだろうと思いました。その後もスランプになると、またハクビシンが現れるのではないかと期待して過ごしましたが、あれ以来ハクビシンは現れませんでした。

 私のことが長くなりましたが、私なりに「三日、三月、三年」について考えます。まず、「三日」ですが、これはカルチャーショックによるものです。甘えた生活をしてきた学生時代から厳しい仕事の世界に直面するショックです。私がそうでした。
 「三月」は、張り切ってスタートした社会人生活の疲れが出るころです。大学生はよく5月病と言われ、5月のゴールデンウイークがあけた頃から学内の心理カウンセラーを訪ねる新入生が増えると言われます。ただ、最近は6月病のほうが正しいのだそうです。入学して3カ月目の6月が多いのだそうです。会社も同じ。疲れが出て、「ついていけない」とか「自分に向いていない」といった不安が出てくるのです。
 ここを乗り切れば、次は「三年」です。こちらは、三日や三月とは違う心理からやめたくなるのだと思います。つまり、仕事がそれなりに分かり、会社や上司のこともそれなりに分かり、自信が出たがゆえに会社が嫌になるのです。「自分はもっとできる」と思い、他社や他業界がよく見え、転職願望が出てくるのです。

 私はこう思います。三日や三月はよほどのブラック企業でない限り、やめないほうがいいと思います。一過性のショックや疲れの可能性が高いと思います。その仕事の本当の魅力も会社の仲間たちの本当の姿もまだ見えていないはずです。そんなところで後戻りできない結論を出せば、きっと後悔すると思います。
 「三年」は人それぞれでしょう。ある程度仕事や会社が分かった上での転職願望ですから、そこは他人がとやかく言うことではない気がします。私たちの時代は、大企業は終身雇用が当たり前で、会社は長くいるほど得になるようにできていました。今は、だいぶん変わって、能力があれば転職によってキャリアアップできる時代です。先人の言い伝えにはおそらく「人間、辛抱」といった教訓が込められていると思いますが、今は辛抱と決断とのバランスが大事になっているように思います。

朝日新聞社 教育コーディネーター
一色 清(いっしき・きよし)
1978年朝日新聞社入社。福島総局、成田支局、経済部記者、週刊誌「アエラ」編集部、経済部次長を経て、2000年「アエラ」編集長。beエディター、出版本部長補佐などを歴任。08年10月から11年3月までテレビ朝日「報道ステーション」コメンテーターを務めた。共著に『知の挑戦 本と新聞の大学』(集英社新書)。