「誰かが見ている」

ビジネスに役立つ言葉たち

会社の先輩

 偉人が残した言葉ではありません。かつて私が先輩からいわれて、ずっと心に留めている言葉です。

 小学生の時、先生が言っていた言葉に似ていると思った人もいるのではないでしょうか。先生がよく使う言い回しです。一人で黙々とトイレ掃除をしていた子に、先生が「誰も見ていないところでもあなたは手を抜かずに掃除をしていました。立派でした。誰も見ていないようでも誰かは見ているものですよ」とほめたことがあったような気がします。先生はついでに「悪いことも誰かが見ているものですよ」と私たち悪ガキの方を見て付け加えたような気もします。

 こんな子供でもわかる言葉ですが、会社に入ってかなりたってからこの言葉の大切さがわかるようになりました。

 仕事をしていると、会社に不満を持つことが誰しもあります。最も多い不満は、会社が自分を十分に評価してくれないということではないでしょうか。一生懸命やっているし、結果も出しているのに、評価されていないように感じるのです。人間は自己評価が高くなりがちです。上司がする相対評価はだいたい自己評価より低めになるものです。

でも不満がたまれば、上司や同僚ともギスギスしたり、やる気が起きなくなったりして、いいことはありません。気を許せる先輩や同僚に居酒屋で酔っ払って不満をぶちまけても、それは一時のカタルシスでしかありません。

私もそういう時期がありました。そんな時、先輩が「誰かが見ているものだよ」と言ってくれました。単なる慰めだったのかもしれませんが、なぜか心に響きました。高い自己評価を守ることのできる言葉を受け入れたかっただけかもしれませんが、「誰かが見ている」はその後も悪循環のわなにはまるのを防いでくれた言葉だった気がします。

さらに年を重ねると、単なるおまじないのような言葉ではなく、確かにそういう面があると思うようになりました。意外な人事というのが、よくあります。自分自身もありましたし、周りでもあります。何が意外なのかというと、自分を含めて、不適材不適所としか思えない仕事をまかされるのです。誰かが見ていて、あいつならやれると判断しているのです。そんな人事は失敗するはずですが、そうでもないのです。これまであまり見せなかった才能を発揮することがあるのです。もちろんすべてではないのですが、私の感覚では、意外によくあるのです。

「誰かが見ている」は、キリスト教者が「神が見ている」と信じて生きるのと似ています。「神が見ている」は来世を意識し、「誰かが見ている」は現世を意識しているという違いだけかもしれません。いずれにしても、自分を見つめている目があることを意識することは、道を踏み外さず、健康な心で生きる支えになると思います。あなたのこともきっと誰かが見ていますよ。

朝日新聞社 教育コーディネーター
一色 清(いっしき・きよし)
1978年朝日新聞社入社。福島総局、成田支局、経済部記者、週刊誌「アエラ」編集部、経済部次長を経て、2000年「アエラ」編集長。beエディター、出版本部長補佐などを歴任。08年10月から11年3月までテレビ朝日「報道ステーション」コメンテーターを務めた。共著に『知の挑戦 本と新聞の大学』(集英社新書)。