日本にないもの=多様性:自分の価値観が揺さぶられる経験をしよう

連載:世界は広く、おもしろい!

写真:日本の桜。日本には美しい四季などあらゆるものがあるが、ないものもある。©Kiyori Ueno

 日本にないものはない、とよく言われる。ミシュラン星を獲得した数々のレストランからラグジュリー・ホテル、世界各地から集められた食品や雑貨に加えて山もあれば海もある。そして美しく変化する四季。私自身、オーストラリア、ニューヨーク、ローマ、エチオピア、ネパールと実際に生活してみて、これらの土地と比べても、日本にはありとあらゆるものがある、とつくづく思う。
 しかし、そんな日本にもないものがある。それは人種や民族、文化の多様性だ。この数年、日本の外国人観光客は劇的に増えたが、日本で最も国際的な都市である東京を見渡しても、住んでいる外国人の比率は極めて少ない。日本に暮らす人々はほとんどが日本人で、社会には「こうあるべき」という決まりが多く、その決まりに従って行動を取る人が多い。その決まりは多くが書かれていなかったりするので、住んでいる人には“常識”でも、住んでいない人には分からないことも多いのが特徴だ。日本が画一的と言われるゆえんだ。
 私は社会の中に多様性が存在することはとても重要であり、豊かなことだと考えている。そして、世界がグローバル化する中で生きていくには多様性のある社会で生きてきた人のほうが有利になると考えている。なぜか。
 社会の中に自分(たち)とは異なる人種、民族、宗教、考え方など異なるものがいくつも存在し、その“異なるものたち”と接することで、人は自分(たち)の価値観が揺るがされる。それによって人はより考えるようになったり、異なる価値観を吸収する。結果としてより多くの知識を身につけることができるようになる。そしてそういう人たちが増えれば社会全体としての知性は高まり、社会はより柔軟になっていく。
 例えば宗教。国連には様々な宗教を持つ同僚たちがおり、年間を通しても、事務所のある国によって祝日も異なるし、中東諸国の事務所では週末は土日ではなく、金土だ。私が暮らしていたエチオピアでは、ムスリムの同僚も多く、毎日時間になると仕事を中断して祈りを捧げたり、ラマダンの最中には断食している同僚がいた。スカーフを頭にかぶって職場に来る女性同僚たちも大勢いた。仕事中に机を離れるということがなかなかしづらい、という日本の会社での話を聞くと、ムスリムがいたらどうなのだろうか、と思ったりする。単純に考えても、これらの同僚たちが身近にいれば、人は様々な行動をするものである、という理解をするようになり、組織は柔軟にならざるを得なくなる。
 グローバル化されている今の世界で重要になっている要素の一つは、様々な異なる要素を知るという知性だ。単一文化・民族だけで積み重ねられた知性は、いくつもの異なる人種、民族、文化によって積み重ねられた知性にはその量と質においてかなわない。そして日本の弱みはそこにある。
 日本がこれまで強かったのは、家電や自動車などの製造業においてトップを走り続けることができたからだ。けれどもこの時代は終わった。なぜならこのようなモノを作ることは韓国や中国、インドなど他の国でもできるようになってしまい、結果として価格もどんどん低くなってしまったからだ。(私の言う製造業とは、生産ラインで大量生産するモノのことで、職人の工芸品とは異なる。)
 これがアップルとソニーの差だった。ソニーがモノ作りにこだわり続けていた間にアップルは人のコミュニケーションの方法が変化することに注目し、電話、オーディオプレーヤー、インターネット、メールが一体化したiPhoneを作り出した。
 グローバル化が進むなか、これからますますこういった付加価値を生み出す能力が重要になるだろう。そのような時代の中で生きていく皆さんには、自分の価値観が揺らがされるような経験をできるだけ重ね、“異なるもの”をどんどん吸収していただきたいと思う。

上野きより ジャーナリスト、フォトグラファー、元国連機関職員
信濃毎日新聞社、ブルームバーグ・ニュース東京支局などで記者として働いた後、国連世界食糧計画(WFP)のローマ本部を経て、食糧支援の現場であるエチオピア、ネパールで働く。2016年から独立。米国コロンビア大学国際関係・公共政策大学院修士課程修了。慶應義塾大学文学部卒業。東京出身。