アフリカで挑戦する日本人:好奇心と冒険心で「やりたいことをやる」

(写真は藤本浩平さん。日本へ一時期国する途中にモザンビークのマプトから立ち寄ったエチオピアのアディス・アババで。©Kiyori Ueno)

連載:世界は広く、おもしろい!

 “グローバルに活躍する”、というと、一般的には国際機関で働く、あるいは日本の会社や組織に所属しつる海外で働くということをイメージしている人が多いと思う。しかし、グローバルに活躍するという生き方には様々な道がある。
今回は、自分がやりたい、と思うことを追い求めてアフリカにやってきた日本人男性、藤本浩平さん(32)を紹介したいと思う。好奇心と冒険心に溢れ、自分で自分の道を切り開いてきた人だ。日本では出会えない、アフリカを舞台に活動する日本人の一人である。
 藤本さんは現在、モザンビークの首都マプトで不動産仲介や住宅のメンテナンス・工事をする日系の会社で社長として働いている。マプトに来たのは昨年9月。それ以前は約3年間エチオピアで生活していた。
 そもそもアフリカ大陸にあるエチオピアに来たのは、日本の大学を卒業後6年半勤めたウェブ会議システムのベンチャー企業を辞めてから。かつて学生時代にバッグパッカーとして訪れたことのあるエチオピアで起業しようと思ったからだ。エチオピアには「何のつてもなく、とりあえず観光ビザで入国した」。起業のアイデアとしてはサービス産業に参入する、ということぐらいだった。居住許可書を取るためと環境に慣れるためにアディス・アババ大学に入学し、現地語も学んだ。
 「バッグパッカーとして旅行をした時に立ち寄ったエチオピアで、暴動を目にしたり、乗り合いバスで一緒になった人が、働きたいけど働く場所がない、と言いながらお金をせびってきたりした。より良い社会を作るために、ここで雇用が作り出せる仕事をしようと思った」と言う。
 エチオピアは人口は多く、まだ競争も激しくない国。本能的にここなら仕事ができそうだと思ったと言う。思いついたのは、エチオピア南部のケニア国境に近い村でキャンプ場を経営する、というもの。キャンプ場開設を目指して1年ほど頑張ったものの計画は頓挫。その後エチオピアのコーヒー輸出会社に就職し、営業と社長の付き人として約8カ月働いた。エチオピアは今はまだ外国人がビジネス登録するのは非常に難しいお国柄。「タイミングが悪かった」。そんな時、モザンビークで不動産をやっている日本人を紹介され、就職とともにマプトへ移住した。
 幼い頃から好奇心が強い子どもだった。社会科が好きで、世界地図の上で、どこにどの町があるか、ということを簡単にあてられる子どもだった。将来はお金を貯めて、海外に行ってみたい、それも黒人しかいないような場所に行ってみたいと思うようになった。高校生ぐらいまでは漠然と将来は国際機関に勤めてみたいと思っていた。けれども、徐々に現実が分かってきて、世界をまたにかけて働くというのは難しいとあきらめた。「そういうキャリアを積む頭はないし、勉強が取り立てて好きでもない」と思ったという。
 そんな思いが変わったのは、大学時代にのめり込んだトライアスロンだった。個人でもインカレでも思いもかけず優勝したのだ。「目標や夢はやってみるとできるかもしれない。夢は見るものではなく、成し遂げるものだと思った」という。
 人生のモットーは「自分がやりたいことをやる」ことと、「死ぬまでに自分の見たいものを全て見る」こと。色々な経験を経て、思ったことを実現するのが人生だと思うようになった。そして、死ぬ時にいい人生だったと思える人生を送りたい、と。
 今考えているのは、いずれはマプトで自分の会社を興すこと。「まず、20席ぐらいの小さな居酒屋をやりたい。それをフランチャイズ化して、アフリカに展開する。雇用も生み出したい」と将来の計画を語る。「アフリカの人たちから“奪う”のではなく、彼らが恩恵を受けるようなビジネスをしたい。僕はビジネスの力を信じている。ボランティアではなく、非営利でもなくやって行きたいと思っている」。
 アフリカの地で、たくましく、自分の力で生きる日本人の男性の姿である。

上野きより ジャーナリスト、フォトグラファー、元国連機関職員
信濃毎日新聞社、ブルームバーグ・ニュース東京支局などで記者として働いた後、国連世界食糧計画(WFP)のローマ本部を経て、食糧支援の現場であるエチオピア、ネパールで働く。2016年から独立。米国コロンビア大学国際関係・公共政策大学院修士課程修了。慶應義塾大学文学部卒業。東京出身。