チャンスがあればアフリカでもどこでも:中国人の“究極のグローバル就職”

(写真はエチオピアの首都アディス・アババのナショナル・スタジアムでトレーニングをするアスリートたち。©Kiyori Ueno)

連載:世界は広く、おもしろい!

アフリカ・エチオピアにいると中国、中国人の存在感に驚かされる。中国は貿易、投資、インフラ整備などを通じてアフリカとの結びつきを年々強めており、ここエチオピアでは、今では同じ東アジア人である日本人だけでなく白人まで「チャイナ!」と呼びかけられるほど中国人は社会に浸透している。その中国人たちに取材をしているのだが、取材すればするほど見えてくるのは、ビジネス・チャンスや仕事があれば国を離れて世界中どこでも行くという、そのたくましい姿である。ちなみに、公式なデータはないが、アフリカの中国人の人口は100万人を超えたと言われており、エチオピアには現在13万人もの中国人が生活していると言われている。

 今回は、取材で出会った数々の中国人の中から1人の若い女性を紹介したい。中国の新疆ウイグル自治地区からはるばるエチオピアまでやってきた女性である。

 彼女の名前はチャン・ジエ、29歳。幼なじみの女性と2人でアディス市内で新疆料理レストランを経営している。新疆のウルムチから約360キロ離れた町の出身。色白の肌に長い茶色の髪の毛で人懐っこい表情をする。中国の父は兵士だったという。

 エチオピアに来たのは6年前。大学でウルムチに出てきて、会計を学んだ。幼なじみの父親がアディスに渡って建設材のビジネスを始め、同行した幼なじみに父親の仕事を手伝わないかと誘われたのだった。「大学を出たばかりで、仕事を見つけようと思っていた。けれども、中国で毎日同じでつまらない仕事はしたくなかった」と言う。「信頼できる友人たちもいるし、幼なじみのボーイフレンドがエチオピアは安全だと言っていたので安心だと思った。(世界の)他の場所を見てみたいという好奇心もあった」。
決め手は経済的な理由だった。「中国での給料に比べれば、2−3倍のお金が稼げる。よりよい暮らしができると思った」と言う。
 その後、このビジネスで大成功した幼なじみの父親は中国に戻った。しかし、2人は残り、昨年8月にレストランをオープンした。レストランを開くのは簡単ではなかった。外国人が開くのは許可されていないため、友人のエチオピア人と組んでオープンにこぎつけたという。

 レストランを始めるにあたり、中国人料理人をウルムチから3人雇った。インターネットで新疆料理ができる料理人をウルムチで探し、その人がもう2人を紹介してくれた。これらの料理人は「アディスの中華料理店のなかで最も高い給料をもらっているはず」という。給料もウルムチよりも2倍以上だという。食材は基本全て新疆から買って持ってくる。春節の時にはレストランは閉めるがそれ以外は昼も夜も週7日営業している。アディスでは多くの店やレストランは日曜日は閉まる。チャンの店は日曜日もランチから中国人客でいっぱいだ。

 「レストランの計画をしている時には、当初はお客さんはそんなに来ないかもしれないと思っていたが、いずれ来るようになるだろうと思っていた」と話す。「せっかくやるからにはベストのお料理を出したいと思っている」。

 チャンの話を聞いていて面白いと思うのは、彼女の人生や仕事に対する態度がとても現実的であるとともに柔軟でもあることだ。エチオピアに骨を埋めようという覚悟を決めている訳ではない。「エチオピアでの生活はまあまあ。仕事しかしていない。将来についてはまだ決まっていないけれど、あと3年は少なくともいるつもり」と話す。「エチオピア人と結婚?文化があまりにも違いすぎるのでそれはないと思う。言葉の壁もあってコミュニケーションも難しいし」。

 今はエチオピアで仕事があるからエチオピアにいる。けれども将来に関してはオープンで、機会がある場所へ行く。そんな生き方に、中国人女性の力強さを感じる。

上野きより ジャーナリスト、フォトグラファー、元国連機関職員
信濃毎日新聞社、ブルームバーグ・ニュース東京支局などで記者として働いた後、国連世界食糧計画(WFP)のローマ本部を経て、食糧支援の現場であるエチオピア、ネパールで働く。2016年から独立。米国コロンビア大学国際関係・公共政策大学院修士課程修了。慶應義塾大学文学部卒業。東京出身。