エチオピアのシープ・スキンで最高級のバッグを:バッグデザイナー鮫島浩子さん

<写真説明>
アディス・アババの“アンドゥ・アメット”の工房で女性職人に笑顔で話しかけるバッグデザイナー鮫島浩子さん。©Kiyori Ueno

連載:世界は広く、おもしろい!

今回は、エチオピアで活動する“アンドゥ・アメット(andu amet)”のバッグデザイナー鮫島浩子さんを紹介したい。鮫島さんは、日本では“最貧国のエチオピアで上質なシープ・スキンを使ったバッグを作り雇用創出に貢献する女性起業家”として知られる。国際協力機構(JICA)の青年協力隊として渡ったエチオピアでその文化や人々に魅了され、エチオピアでビジネスを立ち上げた日本女性である。
 鮫島さんはエチオピアの首都アディス・アババ市内に工房を持つ。そこでは約15人のエチオピア男女の職人がエチオピアでも最高級のシープ・スキンを使ってバッグを作っている。完成品は日本で販売している。鮫島さんは「世界中のファッショニスタから憧れられるような最高級の製品を作ることを目指している」と自らのプロフェッショナリズムのあり方を語る。
 鮫島さんのインスピレーションの元は、中学生の頃父親の仕事の関係で暮らしたイランで見たものと、働いたことのあるシャネルの創業者でデザイナーのココ・シャネルである。
 イランは当時、イラン・イラク戦争の最中で、貧富の差が激しかった。自分はプール付きの豪邸でお手伝いさんがいる生活をする一方で、家を出れば、手足が無い人、ぼろを着た子どもが金をせびる姿があった。けれどもその一方で、イランはとてつもなく美しかった。古くからある文明、モスク、カリグラフィーや詩。これほど魂をゆさぶられるようなものを日本では見たことがなかった。
 シャネルはフランスの孤児院で育ち、コンプレックスを持ちながらもそれを原動力にし、女性をコルセットから解放してあげたいとの思いから、ドレスにジャージー素材を取り入れたり、パンツ・スタイルという画期的なスタイルを提案した革命的なフランスのファッション・デザイナーである。
 エチオピアに渡ったのは2002年。JICAの青年海外協力隊としてエチオピアに2年間、ガーナに1年間派遣された。エチオピアに行く前は短大と美術専門学校を卒業し、化粧品会社に就職、化粧品のプランナー・デザイナーとして活躍していた。初めは自分がデザインしたものが商品になることが楽しかったが、新シーズンごとに大量生産しては古いものは破棄する、そのあり方に疑問を持つようになっていた。人の物欲を満たす仕事でなく、人のためになる仕事がしたいと強く思うようになっていた。そんな時、協力隊でデザイナーという職種があることを知り応募。デザイナーでアフリカの役に立ちたいと思った。
 派遣されたエチオピアでは、国営観光公社で外国人にも受け入れられるように工芸品に付加価値をつける仕事をするはずだった。しかし、公社は助成金を受け取るだけで満足し、スタッフは働く気が全くなく、自分の仕事もなかった。いわゆる“援助漬け”の現場だった。意を決して、職場には行かないことにし、自ら見つけた地元のデザイナーと組んで洋服、バッグ、靴のファッション・ショーをした。ショーは大成功。「大変で疲れたけど面白かった。ショーで見せたものは即売した。高価値のものも売れた。買う人もハッピーだった。この感覚を得た時、自分が今後やりたいことの『答えが出た』と直感した」と鮫島は振り返る。それまでに途上国での援助の限界を感じていた。
 ガーナでは学校で家庭科の先生として働き、生徒たちに地元のビーズで売れるものを作らせた。良いものは売れ、お金が入るから生徒たちは授業にも目の色を変えて真剣に出席するようになった。ビジネスを作り出せば、働く場所ができ、それがやる気を出させ、誇りを持つことにもつながる。これではないかと思っていた直感が確信に変わった。
 3年間のアフリカ生活を終えて帰国後に起業したいと思ったが、ノウハウがなかった。しばらく修行が必要だと思い、シャネルに入社、5年間東京で化粧品のマーケティングをした。それまでに起業したらエチオピアのシープ・スキンでバッグを作る、と決めていた。2010年の年末に会社を辞め、エチオピアへ。現地のパートナーと組んで仕事を始めた。昨年4月にはビジネスライセンス取得、現地法人化した。法人化に必要だった資金はシャネル時代の貯金を充てた。法人化以後、生産量も増えた。
 エチオピア時代に美しいシープ・スキンに出会った。鮫島が今使うのはエチオピアの羊の中でも、標高3000メートル以上の高地に生育する特別な羊だ。この羊のスキンは高地だからこそ、柔らかく、薄いのに丈夫。「エチオピアの羊の皮は全て良い。中でもこれほどの高地で育った羊の皮は薄いのに非常に丈夫で、薄くすいても破れない」と話す。
 この特別な皮を革なめし業者から買い、自分の工房で縫製する。取引先の業者も、例えばなめしに使う薬剤クロムを河川に流す際にきちんと環境に配慮しているかどうか、児童労働を行っていないか、などをチェックした上で取り引きしている。
 エチオピアで仕事をする難しさは、優れた素材を製品化するプロセスだった。「エチオピアには最高級の皮があるのに、エチオピア人は良質の完成品を見たことがないために良質の作品とはどういうものかを知らない。ノウハウも技術力もないので、付加価値をつけて売ることができない。だからこれまで素材を安く海外に売ることしかできなかった」。まさにこれはアフリカに共通する問題点であり、アフリカが長い間貧困から脱却できない原因の1つでもある。
 それに加えて、エチオピアは外資に対して閉ざされた国であり、外国の企業がビジネスをするにはとても難しい環境だ。エチオピア政府は外国投資を促進していると言うが、通信と金融セクターは外資を一切入れていないし、鮫島のような小さな企業には優遇措置はない。また実質上社会主義で強権支配を続けるエチオピア政府の下では税制などの制度が突然変わってしまうこともある。ビジネスをする上で、先が読めない恐ろしさがある。
 このような厳しい環境の中で、鮫島は忍耐強くエチオピア人の技術力を育ててきた。「うちのクオリティーを追求すると、とても1000人などという規模は雇えない。うちの職人は15人だけれど、彼らがこれまで存在しなかった、でも確かな技術を身につければ、エチオピア全体に影響を及ぼすかもしれない。そして、エチオピアでもこのような質の高いものを生み出すことができるということを示したい」。
 これまではエチオピアで作ったバッグは日本でのみ売っていたが、今後は日本以外での販売も考えている。その一歩として7月末にはロンドンのファッション業界のバイヤーが集うファッションイベント“ピュア・ロンドン”に出品した。そしていずれエチオピアの工房は自分がいなくても回って行くようになってもらいたい、と思っている。
 将来的にはウガンダ、ケニア、ガーナなどアフリカ全土のそれぞれの土地にある“宝物”を見つけ出し、それを現地の人に磨きをかけてもらい、生産して売る、そういうことをしたい。エチオピアのシープ・スキンでそうしたように。「大きな会社を辞めて、自分がいいと思うものを妥協なく作り、自分の美学を100%追求している。好きな仕事をして本当に満ち足りている。そんな生き方に満足している」。
(文中敬称略)

上野きより ジャーナリスト、フォトグラファー、元国連機関職員
信濃毎日新聞社、ブルームバーグ・ニュース東京支局などで記者として働いた後、国連世界食糧計画(WFP)のローマ本部を経て、食糧支援の現場であるエチオピア、ネパールで働く。2016年から独立。米国コロンビア大学国際関係・公共政策大学院修士課程修了。慶應義塾大学文学部卒業。東京出身。